日本海の情景

今日も雪がしんしんと降り、少しずつだが一歩一歩春へ近づく。
しかしそんなこといわれても、まだ寒いし雪も残っている。
あ〜はやく桜が見たい。

東京に住んでいる僕にとって、日本海側の地方は遠い。
うちの母親が新潟出身で、新潟はちょっと近い。

青森や秋田へは行ったことがあるが、日本海側までは行っていない。
北陸の富山、石川、福井も足を踏み入れていない。
京都も京都市だけ、兵庫も神戸だけ。

県まるまる日本海というイメージの県はぼくにとってあまりない。
新潟だって日本海だけじゃない、魚沼は山沿いで日本海までけっこう距離がある。
秋田や山形だって山沿いの地方がある。

日本海の先は、なにもないイメージがするが、ユーラシア大陸がある。
ロシア、北朝鮮、韓国。聞いただけでゾッとする国もあるが、日本のお隣さん。
日本海側で深夜、ラジオを聴いたら、国内の放送よりも大陸の電波のほうを多く受信する。
新潟の親戚宅でラジオを聞き流していたら、まるでここが日本じゃない気がした。
大好きな東京の番組がなかなか入らず、結局あきらめて寝た。

新潟では「海の家」のことを「浜茶屋」とよぶ。
うちの母はよく柏崎の「浜茶屋」での昔話を話す。
夏の日本海はとても暑く、明るい。
雲ひとつない晴天、冬の暗いイメージが嘘みたい。
しかし僕が新潟へ来るたびに空は曇天。
母は「しょうがないわよ」と返す。

日本海・・・そこがなければ今の日本は無いのかも。
昔から大陸との貿易で栄えた港町があり、引き揚げ船も往来した。

そしてなにより日本海の魚はおいしい!
カニ、マダイ、ヒラメ、アンコウ、ホタルイカ、ハタハタなど。
母がよく言う「浜焼き」も新潟の血を持つ、日本海側で育った母の血を持つ、
僕としてはぜひ口にしたい。

青森と旅情

青森に行くたびに、心の奥から安らぎを覚える。
決して僕は青森の生まれではないし、両親も違う。
だが、八戸から特急に乗り、青森市に近づく浅虫温泉あたりで
「いいなぁ・・・」と思う。
そのあたりの景色を見ると、旅情が感じられる。
旅に来たなぁと思い、列車は本州最北の青森の地を駆ける。

青森駅に着くと、一瞬不安になる。
青森に着いたけど、なにをしよう。
前々から計画は立てているのだが、実際その場所に着くと、
頭が真っ白になる。
この計画通りに行って、この旅行がうまくいくだろうか。
ホテルは変更できないが、行く場所はその場で決めてもいいのではないか。
別におもしろくとも、つまらなくともいい。
重要なのは、その場所でなにか思い出ができればいい。
楽しい思い出でも、つらい思い出でもいい。
いま自分が「旅しているな」と実感し、旅が好きならばそれでいい。
旅嫌いになってしまえば、僕は死ぬ。
生きがいがなくなってしまう。

家族から見ればこんな何度も旅行に出かけて、あんたバカじゃないとか
少しは貯金したらなど言われるが、
僕は旅をしなければ心がすさんでしまう。

そして今日も僕は次の旅の計画を立てている。

奄美大島

奄美大島、山陰、青森・・・
僕とってとても心がジーンとくる地名。
いずれも一度は行ったことがある。

奄美大島
鹿児島市から南へおよそ380kmの亜熱帯の島。
もうそこは鹿児島県のイメージが無く、むしろ沖縄県だ。
青いサンゴ礁、鬱蒼とした森。
九州と沖縄の間にかかる首飾り(島々)のなかで、
奄美大島は独特だ。
なぜこの南の島はこんなにも緑深い森があるのか。
奄美群島でも沖永良部島与論島などは地形がゆるやかで、
いかにも南の島という感じがする。
しかし、奄美大島はとても力強い、険しい地形をしている。
島のほとんどが山地で、そのなかにいろいろな集落がある。

そして常に雲が垂れ込み、雨を降らせる。
「水の島、雨美大島」
奄美大島で雨に降られたらとても幸せな気分になる。
それはこの美しい雨に相応しい島で、雨降りの景色に出会えるから。
そして、雨が上がり空は晴れ渡る。むしょうに暑い。

僕は奄美大島にあるとある田舎の集落の港で海を眺めながら、
大好きな村松健さんの音楽を聞いていたい。

山陰地方のイメージ

中国地方のなかの「山陰地方」
山陰と聞いて「暗い」「陰鬱」などマイナスなイメージをする人が多いと思いますが、
僕にとってはむしろ「暗い」などのイメージはあまりないです。
神々が集う「神秘的」な山陰、京都・大阪から西日本(九州)へ行きやすい山陽よりは、
交通網があまり発展せずアクセスがしづらい山陰は、どこか「懐かしい」「心落ち着く」場所です。
発展を遂げる山陽に比べ、人口も少なく、発展があまりなされない山陰は、
古いものがいつまでもいきつづける、懐かしい景色がいつまでも残っている。
方言や昔からの伝統文化が絶えることなく、いまでも継承され、息づいている。

そもそも山陰という言葉すら嫌う、差別的な感情を持つ方もいます。
山陽と比較することを嫌う方もいます。
この文章は、そうゆう方々にとっては苦痛でならないかもしれません、
あらかじめお詫びします。

僕は高2の夏休み、初めて鳥取県を訪れた。
中国地方へは、初めて。
関西や、九州は行ったことがあるが中国地方はよく新幹線で通るくらいで、
旅行はしたことがなかった。

その旅行は鳥取県のみで、おもに大山に登山、米子と鳥取のホテルに泊まり、
鳥取砂丘を観光し、帰りは山陰本線で京都へ、新幹線で東京へ帰った。
夕方、岡山から特急スーパーやくも中国山地を縦断し、
米子に着いた頃はすでに真っ暗。
米子の駅前はけっこう賑わっていた。
そして翌日の大山登山。ものすごい登山客で溢れていた。
なぜこれほど大山は人気なのかと首を傾げた。
山頂からは青い日本海、米子の街、遠くには松江や宍道湖が見える。
このあたりで大山は一番高い山で、見渡す限り絶景だった。

その後、山陰本線鳥取へ。鳥取駅近くのホテルで宿泊。
しかし鳥取駅前や周辺の商店街は夜7時ごろでも人の姿がほとんどない。
その時僕は「ここが県庁所在地?」と思ってしまった。
県庁所在地のイメージは、県でもっとも活気があり、お店もたくさんある感じだが
鳥取市はそのイメージを少し疑ってしまうくらいだった。
だがホテルの従業員が「今夜、河川敷で花火大会がありますよ」と聞き、
きっとみんな花火大会にでかけて街は静かだったのかとホッとした。
それが理由だかわからないが、あの時の鳥取駅のヒッソリ感には本当にびっくりした。

僕はまだ山陰では鳥取県しか行ったことがないので、山陰のすべてを語る権利はないが、
その鳥取旅行で一気に山陰のイメージができてしまった。
家に帰り、旅行の景色を想像していたら、鳥取の風景がとてつもなく恋しく思い、
今にでもまた行きたくなった。
あの大山の絶景、鳥取砂丘の神秘的な景色、そしてあの時の鳥取駅。
そのときから僕にとって鳥取はなんだか特別な場所になった。

そして来月、京都の舞鶴から日本海側に沿って鳥取、松江、出雲、萩へとわたる
旅行を計画している。
いわば「山陰旅行」といっていいものだろうか。

今にでもあの時の光景を思い出し、海沿いのローカル電車に乗りながら
日本海に暮れゆく夕陽を見届け、漁り火がぽっ、ぽっ、と灯る景色を見てみたい。

今度は初めて島根県へ訪れるので、さらなる山陰のイメージを膨らませたい。